夫 山下 秀樹 満37歳 (当時)
妻 山下 睦子 満29歳 (当時)
初産婦 これまでの既往症としては、虫垂炎の手術のみで健康
1999年 8月 結婚
10月9日 C病院(大阪市)で妊娠を確認
* 妊娠初期のつわりは非常に軽く順調であった。
11月3日 外出後夜間に出血し、切迫流産のためC病院(大阪市)に入院
* 卵巣が腫れていて、卵巣嚢腫の疑いのあり、約2週間の入院と1週間の自宅療養。退院時には卵巣の腫れもひき正常になった。
その後、2000年4月22日 妊娠33週1日までC病院(大阪市)で検診を受診、母子共に大変順調との結果であった。
2000年2月25日 妊娠25週に里帰り出産を予定の公立那賀病院(和歌山県)で検診を受診し、6月9日に分娩予約を行う。
F医師に診察を受け、F医師が以後主治医となる。
助産婦とも面談 入院の説明の後、乳首のチェックを受けた。
* 助産婦より立ち会い出産、母子同室の説明と個室・相部屋の意向を尋ねられた。
| エコー
胎児の各部分を順番に確認し、心臓をはじめすべて異常なく順調とのこと 羊水 普通 尿検査 尿糖が出たが、看護婦より朝食の摂りすぐだろうと説明される。 |
4月29日 睦子、産休に入る。
5月 3日 和歌山県の実家へ里帰り
5月 8日 35週3日 定期検診 担当 F医師
| 内診、ドップラーで胎児の心音異常なし、尿検査 |
5月15日 36週3日 定期検診 担当 F医師
| 内診、エコー、胎児の各部分を順番に確認し、すべて異常なく順調のこと。
血液検査 白血球数14100 * この時点で白血球の数値が少し高かった。那賀病院でエコーによる検査はこの日以降行われなかった。 |
5月22日 37週3日 定期検診 担当 F医師
| 内診 、NSTを初めて受ける。胎児心拍数130〜140 寝ていると説明。 |
産休に入る前に受けた会社の健康診断結果を受け取り、その中で白血球の数値が高いこと、肝機能が要チェックとなっていたことを告げたが問題ないとの回答。
内診時に子宮口が固いと言われ、何も説明されずに子宮口を強くこね回されて苦痛を感じると共に不快であった。
胎児は順調に育っており(子宮底長 32センチ)、いつ分娩しても大丈夫と説明された。破水かなと思ったらすぐに病院に来るように指示を受けた。
朝から頻繁にお腹が張っていた。これまでにない張りであった。
午前中 実家に来ていた姉の子(生後9ヶ月)と寝転がって遊んでいた。お腹がはっていたのでだっこはなるべくさけていた。
15:00頃 トイレで下着をあげたとき、シャーと液体が出た。尿漏れかと思って座って様子をみる。下着を2度目に見るとぽたぽた落ちてきたので、「破水だ」と思った。
15:10頃 公立那賀病院の産婦人科へ電話。
睦子「破水したと思うんですが、調べてくれますか。」
病院「すぐに病院に来て下さい。担当の先生は誰ですか?」
睦子「F医師です。」
自家用車で、那賀病院に向かう。
15:30〜16:00 F医師による診断。内診時にぐりぐりと指を入れられ出血。
F医師「多分破水しています。」
「これから子宮口が柔らかくなって陣痛もついてきます。感染してはいけないから、すぐに入院しましょう。」
「明日の朝まで様子を見て、陣痛が起こらないようならば、破水していて感染の危険があるので、朝から『子宮口を柔らかくする錠剤』を飲んでもらいます。それでもだめなら陣痛を促進する薬を点滴しましょう。」と説明された。
経口の抗生物質(ユナシン錠)の毎食事後3回服用が指示された。
* この時の子宮口の開き方は約2センチ。(ただ、この子宮口の開き方は入院時には説明されず5月29日に告げられた。)
17:00〜17:30 分娩監視装置でNSTを実施。胎児心拍は定期的な波形で異常なし。
| ベースライン 約140/分。 一過性頻脈:あり 徐脈:なし |
19:00頃 羊水流出続く。ドプラー聴診。陣痛を少し感じ始めた。
夕食。食欲がないため、夕食は半分ほど食べる。ユナシン錠 1錠服用。
20:00 出血少量。ドプラー聴診。
20:30頃 秀樹が病院に到着し、以後付き添う。
22:00頃 病院の消灯時間となり「産婦人科の病室に秀樹が泊り込むのはよくない」との看護婦の判断で陣痛室に移る。助産婦、ドップラーで心音チェック。 異常なし。陣痛が強くなってきた。陣痛周期5分、発作20〜30秒。
* その後、陣痛室で約1時間おきに助産婦がドップラーで心音チェック。「胎児は下りてきていないので、まだ時間がかかる。」と言われる。
1:30 陣痛が強まらないので、一旦病室に戻り、睡眠をとることにする。
* 朝までにも助産婦が、ドップラーで胎児の心音チェックして異常なしとのことだった。
6:30 助産婦がドップラーで心音チェック。異常なし。陣痛は約10分間隔で、そんなに強くないことを助産婦に伝える。
7:30 朝食 おかずだけ食べる。
F医師、ベッドサイドで睦子と面談。まだ陣痛が弱いとして、経口の陣痛促進剤を飲むよう指示。
薬についての説明「1時間おきに1錠、6錠まで飲んでもらいます。陣痛を起こすというより子宮口を柔らかくする薬です。」と副作用等の危険性については一切説明がなかった。
8:15 ドプラー聴診。プロスタルモンE錠 1錠目服用
睦子「陣痛促進剤ですか。」
助産婦「陣痛促進剤のうちに入りません。弱い薬なので絶対飲んでください。」
助産婦、服用時に立ち会う。
9:10 助産婦、ドップラーで心音チェック。プロスタルモンE錠 1錠渡す。
9:15 プロスタルモンE錠 2錠目服用(医師、助産婦の立ち会いなし)
9:45〜10:15 分娩監視装置で胎児心音、陣痛具合をチェック。
| ベースライン 約140/分。 一過性頻脈:あり 徐脈:なし 陣痛間隔:1分〜2分 |
助産婦「2〜3分間隔くらいで陣痛が来てるけどわかる?」
睦子 「うーん。5分〜10分くらいの間隔に感じる。」
助産婦「有効な陣痛じゃないね。薬の時間だから機械を止めるね。」
助産婦が薬を渡すのを忘れていた為、服用間隔が予定の1時間よりも延びた。
10:30 プロスタルモンE錠 3錠目服用(医師、助産婦の立ち会いなし)
この後、急に陣痛が強くなってきて、陣痛の間隔が2〜3分間隔で持続時間は30〜40秒程度になった。腰が痛くなってきていたので、秀樹が腰をさすっていた。
11:10 助産婦、ドップラーで心音チェック。プロスタルモンE錠 1錠渡す。
睦子「陣痛が2〜3分間隔できてるんですけど。」
助産婦「まだまだ有効な陣痛じゃないよ。」
睦子「寝ていても羊水が漏れてるのがわかるんですが。」
助産婦「羊水の色が変わったら教えてね。」
11:15 プロスタルモンE錠 4錠目服用(医師、助産婦の立ち会いなし)
この後、陣痛の間隔が2分間隔、持続時間は30秒程度。急に痛みが増してきた。
腰が痛くなってきていたので、秀樹が腰をさすっていた。
11:45 昼食が出されるが、痛みのため食欲がなく、酢飯のおにぎりを一口食べたのみ。
12:10 助産婦、ドップラーで心音チェック。胎児心拍異常なし。プロスタルモンE錠 1錠渡す。
助産婦「ブルーな顔してるな。」
妻 「だって痛いねんもん。」
助産婦「1番強いのを5としたら今は2くらい。もっと痛くなるで。」
* 陣痛間隔が2分間隔と伝えると、助産婦はしんどそうなので、6錠目を飲むかどうか、F医師に聞いてくると言っていた。トイレに行くたびに産褥パットを交換していたが、かなりの量の羊水が出続けていた。そのことについては、ドップラーを当てに来た助産婦には伝えてあった。
12:15 プロスタルモンE錠 5錠目服用(医師、助産婦の立ち会いなし)
12:30 助産婦が来室し、食事について訪ねる。
助産婦「食事食べてる?」
睦子 「痛くて食べられへん。」
助産婦「糖分とらないと子宮収縮作用が弱くなる。糖分で陣痛が促進される。」と言われて秀樹が売店でバナナを購入、1/3本無理して食べる。
13:00〜13:10 F医師による診察
内診の結果、子宮口は3センチの開口。
睦子「陣痛が2分間隔できてるんですけど。」
医師「有効な陣痛じゃないね。これからもっとしんどくなるからね。最後の6錠目を飲んで子宮口を柔らかくしましょう。それでだめなら点滴で促進しましょう。」ドップラーで心音チェック。胎児は少しずつ下に下りてきつつあったということ。
2分間隔でも陣痛がまだまだ弱いと判断される。
* 睦子は、かなり陣痛の痛みがきつくなってきており、歩行が困難になりつつあった。診察台を降りたときにまた、陣痛がきて、ものにつかまってこらえていると助産婦が腰をさすって「もっと有効な陣痛がくるよ。」と言っていた。2分間隔でも陣痛がまだまだ弱いと判断される。
13:15 プロスタルモンE錠 6錠目服用 (医師、助産婦の立ち会いなし)
* 陣痛は2分間隔で続いており、持続時間も40秒〜60秒くらいになっていた。呼吸法で痛みを逃そうとしていたが、秀樹から見てもかなりしんどうそうであった。秀樹が時計で測ったうちには陣痛間隔が1分半のときもあった。13:00過ぎの診察で陣痛がまだ弱いと言われていたので、もっと強くなるだろうとひたすら耐える。
14:30頃 インターフォンで「15:00に分娩監視装置を着けに陣痛室にきてください。」と言われる。
* これまで1時間おきにあった助産婦によるドップラーでの胎児心音チェックが昼の診察以降なく、助産婦の助言もなく、睦子は陣痛に耐えた。
14:55 陣痛が更に強くなりそうだったので、少し早いが秀樹と共に陣痛室へ移動。
15:00 助産婦が分娩監視装置をとりつけようとするが、胎児の心音は、「どど、どど」と、とぎれとぎれで非常に弱く、鼓動の回数も少ないことが判明。陣痛がますます強くなっており、ベッドの上で海老のように身をかがめる。
15:01 急遽分娩室に入っていたF医師が呼ばれ、診察を開始。
胎児の心音が弱いことを確認。内診で子宮口は3〜4センチしか開いていないこと、胎児が骨盤の中まで下りてきていないことを確認。この間、手袋を代えて長い間内診を続ける。
「赤ちゃんがしんどがっているので、帝王切開します。」と睦子に伝える。
酸素吸入と帝王切開の準備を指示。F医師はその後また分娩室に戻る。助産婦と看護婦が剃毛等の準備をするが、その間も陣痛が強まっていった。
* 胎児の心音の異常が発見された段階で、付き添っていた秀樹は陣痛室のベッドのカーテンの外に出され、説明は何もなかった。睦子が陣痛室入室時、分娩室に1人、陣痛室に1人妊婦さんがいたが、F医師が1人ですべての対応をしていた。
15:25 手術の準備が完了し、2Fの中央手術室へ向かうために陣痛室を出る。その際に帝王切開することを秀樹に伝えられる。
15:30 睦子が手術室へ搬入され、帝王切開手術が開始される。
産婦人科医 2人 助産婦、看護婦5人くらい。小児科医1人
15:46 赤ちゃんが取り出される。産声もあげず、心臓も止まりそうな新生児重症仮死であったので、ただちに蘇生術が施される。
| 赤ちゃんのデータ:女児体重 2636g 身長 47.8センチ 胸囲 29.0センチ 頭囲 32.0センチ 妊娠期間:38週0日 |
16:30 手術室前で待機していた秀樹が手術室の前室に呼び込まれ、赤ちゃんの状態が説明される。
F医師「取り上げた時に非常にしんどい状態でした。産声もあげず、自発呼吸もしていません。強心剤を打てば、とくとくと少しだけ動きますが、すぐに止まってしまい、6回注射しましたが、もう限界です。今から、赤ちゃんにあってもらいます。」
秀樹が手術室に入る前に睦子を先に病室へ戻そうとしたが、またもとの位置に戻した。小児科医から再度子供の状況が説明され、赤ちゃんの瞳孔が開いてきていることが認められた。
16:40頃 赤ちゃんの死亡が確認される。
睦子は何がなんだがわからない状況であったが、秀樹に続いて赤ちゃんを抱く。手術室の全員が泣いていた。
20:00頃 個室に移された睦子のもとにF医師訪問。
* 赤ちゃんの死亡原因については、F医師の説明では、直前まで非常に元気な状態であり、先天的な異常等も認められず、理由はまったく不明であると強調され、詳しい原因をしるためには病理解剖の必要があること、しかし解剖してもわからないことが多いとの説明を受けた。解剖してもわかないのであれば、解剖しても仕方がないとの理由で、解剖には同意せず。
瑠美奈を荼毘にふした。
*病院側から何も説明がなかったので秀樹・睦子からどうしてこうなったのかここにくるまでの経過を説明するよう病院側に要求した。
5月29日(月) 第1回説明 3F内診室 病院側 F医師、婦長補佐 1時間程度
時系列に沿って医師から説明があったが、胎児には直前までにも異常が見当たらず、羊水混濁、胎盤早期剥離の兆候はみられなかった。胎児自身も心肺に異常はなかったとの説明で、結局赤ちゃんが仮死状態で生まれ、死亡した理由は何もわからないと言うばかりであった。
5月30日(火) 20:20〜21:25 3F会議室 病院側 F医師、婦長、婦長補佐、主任
家族からの陣痛促進剤による副作用の危険があるのになぜ分娩監視装置を連続着用せず、最後の診察から約2時間胎児の心音のチェックがなかったのか?破水して、羊水が出ていること、子宮口が開かず、陣痛の間隔が短かったこと、また、陣痛のストレスから守る役目のある羊水が出てるためが胎児に直接ストレスがかかったのではないのか?と糾した。
医師から納得のいく説明は全くなかった。
5月31日 インターネットで検索し、「陣痛促進剤による被害を考える会」を知り、電話で相談する。(会では随時相談に応じているので、事故にあったかも知れないと思われる方は、是非こちらのアドレスに連絡して下さい。
a-demoto@icknet.ne.jp)
6月2日 陣痛促進剤による被害を考える会に入会し、弁護士の紹介を受ける。
6月22日 証拠保全。和歌山地裁に申請して認められ、診療記録のコピーを入手した。